ガイナーレ鳥取観戦記 その9 帰還してきた漢

後半9分 藤田に2枚目のイエローカードで退場直後の一枚

後半

私の今年のレプリカユニ(厳密にはオーセンティック)の背番号は6。

いつもは12番をプリントする。サポは12番目の選手だから。


しかし今年は6番。

6番はカマタマーレ讃岐では藤田浩平。その理由は・・・・



かれは今年の2月19日 TM(練習試合)で右足関節開放性脱臼骨折なる重症を負う。

私のような一般人なら日常生活にも支障がでかねない大けが。



おそらく今季の復帰は絶望。

いや・・・選手生命が絶たれるかもしれない絶望的な状況だ。



だから彼の一日も早い回復を願って今年度は彼の背番号で戦うこととした。

彼が試合会場に現れなくても選手が一緒に戦っているような気持になれるようにと・・・


実際、後援会の皆さんが背番号6のお揃いTシャツ作ったり、

サポさんが応援幕を作ったり、そのムーブメントは開幕当初はかなりの広がりを見せていた。

彼の魂と共に戦う!!

そんな雰囲気だった。



開幕当日、レプリカユニ申し込みの際、偶然、歴戦サポJさんと隣り合わす。

「Jさん、どうします・・・・今年の番号・・・・」

私の言わんとしたことに素早く反応したJさん。

「岳ちゃん、そりゃ6やろ~!!!」


我が意を得たりのわたくし・・・( ゚∀゚)ノイェー

「ですよねぇ~!!!!」

こうしておっさん二人が仲良く背番号6のレプリカを購入したいきさつがある。

ちなみにブログ村のカマタマライフ氏もレプリカナンバー6である。


それがあれよあれよという間の回復。

「えっもう松葉杖・・・」~「あれ、歩くだけならOKなの??」「もう合流して基礎メニュ~!?」

「TMでたの??」「天皇杯で得点!!!おめでとう~!!!。・゚・(ノД`)・゚・。」


若さとはすばらしいのか、ジョカトーレの回復力は半端ないのか、サッカーの女神に愛されているのか・・・。

回復にいろんな理由があるにせよ、一番の理由は過酷なリハビリをひたむきに取り組んだ成果だろう。

この骨折のリハビリは想像を絶する過酷なものがあったと思う。



まさに地獄を潜り抜けて再びピッチに帰還したのだ。

そしてこの最後の「死闘スタジアム」に右DF先発として名を連ねているのだ。


かれの帰還は多くの祝福に満ちていた。

彼がいないことで開幕当初、監督のプランは少なからず変更を強いられたことだろう。

監督が理想とした戦術の最後のピースが、今そろったのだ。


しかし、この祝福をサッカーの女神様は新たな試練に変えて

帰還した彼とチームとサポーターにまとわせる。


その試練はまた新しい歓喜の源泉であることは理解している。

しかしこのタイミングで彼にこの試練を・・・・


J2入れ替え戦第2戦 後半9分

カマタマーレDF藤田 ガイナーレ久保選手との接触によりこの日2枚目のイエローカード

退場を宣告される。



以後カマタマーレは10人でガイナーレ鳥取と対峙することになる。

この時、背後の掲示板を振り返る

後半が始まって動き出したこの時計はまだ10分を指していなかった。


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小学生では水泳を習ってました。水泳の脚力アップにサッカーを習いましたがむしろサッカーの魅力に取りつかれました。しかし小学校5年生からのスタートはハンデでした。伸び盛りのゴールデンエイジにまだサッカーをはじめていないこと。インターネットなどがなく、今ほど理論的な指導はなく、スクールなどは充実していなかったことなど。何よりその才能はサッカーの神様に愛されているとは到底言い難いものだったこと(泣)。選手としてはMF、DF最後はゴールキーパーとして15歳の試合を最後に(中学総体時)に引退しました。

月日は流れ・・・

その後もサッカーは好きで代表戦やJリーグを中心にサッカーを見ていました。トッププレーヤーのため息が出るほどの美しいプレーを見るたび、自身の才能のなさを嘆くこともありました。なぜサッカーをすることにおいて、サッカーの女神は私を愛してくれなかったのか?(同じ名前なのに鹿島の柴崎君は愛されているようです・・・笑)その答えは40歳を過ぎた時に明らかになる出来事がありました。わが郷土にJリーグを目指して闘い始めたサッカーチームが現れたのです。女神様は競技する才能を私に与えなかった。しかし、それと引き換えに「サッカーを愛する才能」をふんだんに授けてくれたたことに気が付きました。そしてその才能を充分発揮できる宝物も与えてくれました。今、私の才能・・・サッカーを愛する才能・・・のすべては一つのチームに注がれています。そのチームの名前はわが郷土から初めて誕生しようとしているプロサッカーチーム・・・「カマタマーレ讃岐」。このチームとともに神様が与えてくれたミッションを果たすべくすすむ大冒険をブログにつづりたいと思います(笑)

よろしくお願いいたします

(=゚ω゚)ノ


このブログタイトルについて

初めてカマタマーレの試合を観戦した時に目にした古参サポーターさんたちの情熱。とても感動したのを覚えています。それ以後、彼らの熱い思いをいつまでも振り返れるよう、そして自分自身が忘れないようにこのタイトルをつけました。

飛行士業

しかし、モデルとなった原作「とある飛空士への追憶」のようにさわやかなブログには程遠く「暑苦しく、無秩序に取り乱した文章」を書き散らかされております。ご容赦ください。ちなみに筆者イメージも原作とは程遠く「飛空士」というより「低牛」のほうがイメージに合致します(笑)

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